想像日記

思ったこと伝えたいこと

今に焦点を充てるのか、闇に没するのか?

今日は、ややうつでした。

 

もっと根気よくやれば解消できたかもしれません。

 

これはこれから注意すべき点ですね。

 

施術するには差し支えなかったかもしれません。

 

施術すれば、それだけに集中できるのですから、もっと自分を信じてやってみることにします。今がチャンスですから、それだけに投入して頑張ってみようと思います。セラピストになれるように、やっていきます。

 

ただ、漠然とセラピストになりたいなんてことでは、これからモチベーションを保てないと思いました。誰のために施術をするのか?単純にお客様の幸福のためにだけでは、自分が勘定に入っていないので、危険ですね。

 

そうではなく、自分も含めた全体数が幸せになってほしいということが大事です。こういう考え方から発想すると、私は、

 

幸せな施術者が一人のお客様を幸せにし、

その幸せの連鎖を無限拡大していく

 

をビジョンに掲げます。

 

癒しを提供するのが、リラクゼーションセラピストに役割、サービスですが、サービスだけでは、セラピストにはなりえません。そこにホスピタリティがなければ、単なるサービスです。ホスピタリティのあるセラピストになるということは、自分自身にもホスピタリティで接している、ということが必要になってきます。矛盾してはいけないのです。

 

矛盾した状態では、いくら技術をマスターして施術し、お客さんを癒していったとしても結果には繋がらないのです。私は今、矛盾しています。自分自身に嘘をついているのです。気力で抜けられる体調だったのに、ネガティブな勢力に負けてしまい、悪化させてしまうということです。

 

これは、自分をどこかで存外に扱っていたことに起因する状態です。どこかで自分を否定(人格否定)し、そのかたわらを虐めてしてしまったのでしょう。だから、健康ではないのです。不健康だというのです。心と体の善的同調なくしては、ホスピタリティは発揮しようもないです。どこかで甘えてしまっているのです。自分の障害に。

 

でももう甘えていることなんてしたくありません。寛解(かんがい)するためにも、私はもう後ろを見て歩くなんてことはしたくありません。でも無理をしてまた心を壊すようなバカな真似はしたくありません。

 

もう治ったのだ。と信じていきます。今私は、軽躁ではありません。中間状態です。治っただからといって、再発するように薬を飲まないなんてことはしません。過去に執着するのは辞めにして、最善を尽くして今を生きることにします。今を大事にする人に、悪いことは悪いようには見えません。かならず可能性という点が見えるようになります。

 

片面は黒い鏡では、光を集中させることはできませんが、虫眼鏡なら光を集中させることができます。だから、心を最善の方向にもっていけば必ず灯火はともるのです。それでは、ビジョンに戻りましょう。

 

幸せな施術者が一人のお客様を幸せにし、

その幸せの連鎖を無限拡大していく

このためには、私が幸せにならないといけません。第一原因が幸せでなくしては相手を幸せにすることはできないからです。これから助けようとする人を助けるのに、助けることに躊躇している人に助けられる可能性は薄いのです。それと同じです。

 

闘病生活をしている当事者が治ることを信じて生きているように、途中で諦めて病気に負けてしまうことは、その先にある未来をなくすことです。だから私が今幸せになることが大事なのです。

 

そのために私は2015年11月19日から以下のことを毎日実践することを決意いたします。これは決定事項です。

 

好きな影響力のある人物の名言と向き合う時間を優先的に作り、

その時間のうちに良心から湧きいづる力が出てくるまで対峙しつづけること。

ーーーーーーその過程は瞑想の一時である。

 

これです。これしかありません。私もこれまで幾度となくこの手法で乗り切ってきました。しかし最近はめっきりこの手法をとりませんでした。中断してきたのです。なのでこれを再び実行に移します。時間的資源はあります。精読し、それを身につける覚悟で挑みます。

 

1日を勝利するためには、前日の夜の時間を重要視していかなければ、勝てる戦も勝てる要素がありえません。それには、責任が伴います。実際には過程は本当のところを言うとしんどいです。精神が引き詰められるような感覚を経ます。でもそういう真摯な姿勢を通過しなければ、大成することはないのです。私はそう実感します。

 

真剣に自分の人生を生かすのならば、曖昧な選択肢はありません。0か1しかないのです。グラデーションを選ぶこともできますが、曖昧さを含有した意識というのは堕落する過程を経てしまいます。どこかで後ろを見てしまうのです。だからといって、それがストレスとならない程度には制御するのは必要なことです。

 

戦士が戦場で戦うのに、曖昧な意識では負傷してしまうでしょう。それと同じです。でも私は精神障害者であるという深傷を負っているというハンデがあるということは忘れてはいけませんが、それらを凌駕する強靭な<信じる力>をもち合わせれば、鬼に金棒なのです。それを私は胸に潜めています。存在するのです。持っているのです。

 

それを解き放ち、スイッチを押さなければなりません。それを今日私は、長年の封印から解き放ちます。鬼気迫るその心境を言葉でテキストだけで表現するというのは難しいものです。しかし、私にはそれを意識するための道具を与えられています。

 

ポメラとノートとペンです。この三つのデジタルとアナログ両方を駆使して自分自信を鍛えていきます。前日に力の言葉を選び、それを日中握りしめて思い続けるのです。忘れないように、ノートにメモをして、それを1日が終わった時に、ポメラに感想を記録しつづけるのです。これならば、今までの筆跡をたどることができます。

 

自分自身をミニマムにしていき、最小限の自分の本質を活かしていく。これぞ修練の道です。鍛錬なのです。そういう風に病気を発症する前はやってきました。それをこれからまたやるのです。昔と違うことは深傷を負っていることであるということを忘れずに、いきなり心にグサグサとくる言葉は選ばずに、レベル1から始めていきます。

 

そうして、すこしづつ改良を加えていきながら、言葉通りの存在になっていきます。信念はこうしてつくられるのだということを証明していければと思います。自信を持つことはいつでも最前線の自分との闘いだということを忘れてはいけません。百戦錬磨も不可能ではないのです。

 

それではこれからの時間はそうした時間にしていきます。

 

ではまた。