Seia Mia Story

闘病ニートのminimalistへの道のような日記

諦めない

私は私を諦めない。

悠長に構えていられない。

ゆっくりやればいいんだよ、と言われてもどうしたらいいかわからない。

余裕を持てと言われるけれど、私はせかせかと生きる生き方以外はわからない。

これが障害に起因していると知ってはいるけれど、私がその状態になるまでを知らない。

知ることができない。だって先天性だから。

だから、その先天性とかいう言葉に甘えたくない。けれどどこかで甘えている自分がいるということは知っている。知らないと前に進めない。認識していかないと進めない。片足がないのに、義足をつけないと歩けないのと同じで、私は私の半身を認識しないと認めないと前に進めない。

だから、私なりに考えて工夫することはこれまでの行き方で学んだ唯一の方法だ。

ゆっくりがわからないんだから、静かにするのならばまだわかる。ゆったりとするのならば、まだわかる。健常者目線ではわからない。その過程が知ることができない。ネイティヴのことなんてわからないよ。まったく異なった生き方をしてきたんだから、わかるわけないじゃん。

でも、歩み寄ることはできる、それは知っている。言葉を練り、話しかけることはできる。それで相互理解ができるレベルまで高められればどうにかできるかもしれない。でも、限界値はあるかもしれないから、別の方法を用意しておくことは大事だと思う。

別の行き方を用意することは大事だ。一つだけの行き方ではリスクが高すぎる。趣味でもいい。何かしらでも用意しておくことが大事なんだと思う。希望を失わない。

思い出せ。何のために生きているのかを。思い出せ。そして忘れるな。

生きる糧を思い出せ。必ず希望がある道を行くんだ。

途中で諦めたら元の木阿弥だ。チャンスがあるのにもかかわらず諦めるのはチャンスをドブに捨てることと同義だ。周囲がどんどん消えて無くなるとしても、環境が変わるとしても諦めてはいけない。もし、諦めたくなったら相談すればいい。

その自分を進化させるヒントとは、人と違うことをすればいい。それだけ。出る杭になればいい。出る杭は打たれるとしても、出っ放しになればいい。そうなれば誰も見向きもしないだろう。敵愾心を自分の過去に向けて生きよう。

過去より今日の自分自身が勝ったか負けたかを評価しよう。ライバルは作らないほうがいい。ライバルほど右往左往する存在はいないからだ。右往左往しない存在は、過去の自分だけだ。過去の自分をライバル視して挑もう。そうすれば勝てる。連戦連勝も夢じゃない。

最後に、諦めるな。


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